2015年11月29日日曜日

算数よりも、こういうのの方が問題かもしれないと思いつつ苦笑い。

娘の音読を聞く。
今、国語の時間でやっている「ずーっと ずっと だいすきだよ」で、主人公は誰かというやつに納得いっていない様子。
幾度か読んだ後に曰く「やっぱりおかしいが。“ぼく”はエルフの話しをしとる人やから、話しの主人公は“ぼく”じゃなくてエフルで、“ぼく”は話しをする人やよね」
この間、授業を見に行った時に俺もひっかかったところ。なんだ一緒じゃんと思うものの、あんまりそういうところにこだわると、ろくなことがないのは、小学校低学年の頃に父がアホほど経験済みだ。本当にろくなことがない。
さて、大変もうしわけないが、こだわりすぎて先生と衝突しちゃダメよってこと以外にいいアドバイスないや。
とりあえず、物語には「主人公」と「話者」というのが出てくるやつがあるんだけど、あんまり複雑な感じで考えてもしょうがないから、他にもいろんなのを読んでみようよとお茶を濁す。
なんとなく検索してみたら、教材として使っている模様も書かれている。娘の授業でも似たようなことをしていたので、定番の進め方なんだろう。ここでも主人公は誰かを討論させるだけで、話者の話しはしないみたいだし、結論も出さない。
ひっかかるところは、いくらでも拾うんだが、どうやって娘に不満を持たせないかというか、娘のガスを抜くかという問題がある気がしてきている。
http://www.geocities.jp/bzbzbzkoji/1nen/zuuttozuttodaisukidayo.html

2015年11月12日木曜日

困ったままの男

むかしむかしあるところに、ひとりの男がいました。
まったくなにも変わったところのないただの男でしたが、道を歩いていて、サイコロをひとつ見つけました。何気なくそのサイコロを拾って、橋のたもとまでくると、次は天秤を見つけました。
男は、サイコロと天秤、どちらかを選ばなければならない気がして困り果てます。
なにせ、この二つのどちらかを選ぶというのが、これまでのなんでもなかったただの一生のなかで、本当に重大なことだと、直感したのです。
男が悩みに悩んでいるうちに、時間が経ちすぎて、世界の法則にまで影響が出始めます。
魚は用事がなくても木を登り、流れ星は消えてしまわないで地上に挿した蹄鉄があれば、それをくぐって再び空に帰るのです。
一回寝て起きてしまえば、なんとかなるですって?笑いごとじゃないんですよ。
さすがにあまりのデタラメはよろしくないということで、世界で起こる突飛なことはかなり控えられているんですが、男はまだ、どちらか選べなくて困っています。あまりに長く困りすぎて、橋につきものの何かになってしまい、あらゆる橋のたもとに立ち尽くす様になりました。
それが証拠に、どこかで新しい橋がかかった瞬間に、じっと目を凝らして橋のたもとを見れば、困り果てた男の姿を一瞬だけ見ることができる筈です。

2015年11月11日水曜日

落ちてきた項目

むかしむかしあるところに、一冊の百科事典がありました。
その百科事典の「L」の項目は、すべて流星と一緒に、地球の外からこの本に落ちてきたものです。
なので、それが確かに「L」の項目だというのに、見ても全く意味がわかりません。
それでも人は、「L」の全ての記述に雷に打たれたような衝撃を感じ、この本を他の人には見せたくない。見られたくないという風に考えてしまうのです。
しまいには、この本を巡って戦いまでおこってしまいます。
そんなこととは関係なく、季節は巡って花が咲くというのに、一体どうしてそうなるのか、誰にもわかりません。
でも、実際に「L」の項目を見たら、あなたもそんな気持ちになるはずですよ。

2015年11月10日火曜日

昔の人

むかしむかしあるところに、ものすごく高いビルと呼ばれる建物がありました。
今はもうそんなものがなくなってかなり経ちますが、そのころはものすごく高い建物がたくさんあったのです。
その頃、人間はまだ蜂が通信の役に立つことも知らず、わざわざ電話という道具などを使って、苦労して離れた場所の人と通信をしていました。すごく高い建物というのも、そういう苦労のひとつです。
人間はかつて、そういうおかしな苦労をしていただけではなく、いろいろなものに突き動かされて向こう見ずな冒険や、公園の噴水をお風呂にする様な、考えられないことを繰り返していたのです。
ご存知の通り、あの目を見張る様な素敵なできごとを境に、今の人間はそういう馬鹿げたことをしたくなったり考えたりしてしまう性質に、うまく鍵をかけられたので、そんなことはもうしませんけれど、やっぱりなんだか驚きですね。
なにはともあれ、あんまり難しいことを考えないで、居心地のいい家でのんびりしていたいものです。


2015年11月6日金曜日

なにしてまんねんって風邪ひいてまんねんというか調子悪いっす。毎年この時期こうじゃないか?大丈夫か?

頭いてぇなぁと思いながら、治ったりまた痛くなったりというところに、ほんのり目ばちこ出てみたり、葬式やら報恩講やらで右往左往してたらあっさり11月ですよ。
だらだら頭痛かったり治ったりを長引かせてるのもやめにして回復せんとろくなことなさそうなんで、ちょっと真面目に寝ることに……。とか言いつつ、バタバタしてて調子悪いとどのみち手は止まっていたわけで、そっちの方がいかんということで、日記であります。

先日から、あれやこれやで小矢部のマリオのパン屋さんの全粒麺のネット通販に手を染めております。
http://shop.mariopan.net/
十月末は欠品やばいんじゃないの?と、ヒヤヒヤしていましたが、どうやらそれもクリアできそうな様子。ガンガン出荷したいものであります。
で、この全粒麺、なんかもっと食べ方の提案しなきゃねということで、いろいろ計画練ったりハナシをしたりしております。
和風のダシはどうよ、カレーうどんはどうよ、トマト鍋のシメはどうよというところから、あわよくば富山産でダシの素になりそうな乾燥しいたけやら煮干やらを小分けの袋にして販売とか、カレーうどんのレシピとスパイス小分けにして売ろうよという算段もしております。
スパイスの方は、マリオさんのところの方針で、なんだかんだで体冷やす方向寄りになるので、冬はやらないということで、お目見えは来春ですな。
とか言いつつ、ぼんやりカレーのことを考えていると、ついつい食べたくなるもので、なんだか先日から狂ったように手抜きのカレーで欲を満たしております。
食べに行かないのかといえば、そもそも全粒麺のカレーうどんのイメージから欲がきてる様で、不思議と自作一択。
こういう突発事故の様な欲を満たすには、SBから出ている中辛のカレールゥのフレークがなんとも便利でして、これ適当に野菜切って肉と一緒にフライパンで少量の水で火を通したところにトマトジュースとコンソメキューブ突っ込んで、一緒にカレーも放り込むと、もう普通に一人前のカレーができちゃいます。本当に、なんも考えなくてもできる。お好みでスパイスでもなんでも突っ込みなはれという代物。
それにしても、ルゥというのは、なんともいえない堕落を引き起こすもので、こういう手抜きはいかんですなと、再確認させられている次第。

私、家を出ての自炊生活を経た後、カレーとか肉ジャガを母親の手料理と結びつけて持ち上げるのは、「わかりやすさ」で思考を止めることを目的とした悪辣な様式の固定のひとつだと主張しております。カレーも肉じゃがも、自分の食べたい様に作れないなら、菓子腹でブヒブヒ言っておけと、お母ちゃんの作ってくれる料理の中には、もっと地味で自分では率先して作って食わないけれど、美味いものがあるんじゃないのかと、そこです。や、無い場合もある。
それにしたって、漫画の『深夜食堂』なんかを見れば、モチーフになり得る食と記憶、イメージなんてのは、もっと多様でいいということは、理解できる筈。
そこですよ。流布したイメージが先か料理しなくなったのが先かとか。面倒なハナシの入り口です。
や、それはさておき、今見たら、amazonでまとめて二缶とか買えちゃうのか。これもこれで、恐ろしい世の中ですね。ただの欲ならさっと満たせるわけで、じゃぁ、そこからどうすんのかというところ。
S&B 赤缶 カレーミックス200g×2個