2014年1月9日木曜日

なんでこんな結果になるのか考えてみる。

娘が漢字に挑戦したいと言いだし、聞かれたらその漢字をなんと読むのか教えていた。
そのうち、「そら」は漢字でどう書くのか、色の名前を漢字で書くとどうなるのかという質問が始まり、聞かれるままに漢字を書いてやる様になったが、言われるままに書いていると簡単に難しい字に行き当たる。そうなるとすぐにオーバーヒートして質問しながら寝てしまうので、漢字ドリルを買い与えた。
で、誇らしげに、漢字が書ける様になったと言って書いてみせた最初の成果がこれ。


一から八までなんだけれど、なぜ十までじゃないのかと聞いたら、ドリルでは違うページだったからまだ練習していないとのこと。ドリルの都合で、彼女の中では八までで一区切りになった。
なんだその区切りはという違和感はあるが、数は数えられるものの、まだ桁が上がっての区切りの感覚も育っていないものと思う。ひょっとしたら、性格も関係しているかもしれない。

彼女の視点では八までを練習してそこで一区切りという感覚が自然で、九と十は一緒に覚えてしまうものではなかった。
人間、慣れてしまうことで、違う視点を想像できなくなることはよくあることだという話しもそうだし、何かのフォーマットを選択するにあたって、本当にそれでいいのかということの検討も必要だ。
例えば、この漢字ドリルがそうだ。寝てしまうから、なんとなく対象年齢だけを見て漢字ドリルを買い与えたけれど、きちんと概念のグループめいたことを考えて、一から十、ひょっとしたら百や千も同時に練習できる様にレイアウトしてあるものを選ぶべきだったかもしれない。

これはホームページや様々な情報発信の施策でよくあることだが、何かを見て「あれと同じものがいい」ということを決める前に、それがいいなと思ったのは何故か、本当に自分達もそれと同じでいいのかということを確認すべきだ。
完全なコピーが成立するわけもなく、いまどきはターゲットや予算、費用対効果を考えるという決まり文句も出てくるのに、結局はただ型だけをなぞって制作された結果、全く誰からも見向きもされなかったり、アクセスの傾向を見たら単純に通り過ぎられているだけだとわかる回り道を、苦労してWeb上に登場させることになる。
ターゲットを想定したところまでは良かったが、ターゲットの視点についての考察や、自分達がそのターゲットに向けて発信すべきものについて全く考えていなかったり、真似したい「あれ」ありきで実際はそれがひな形としては不適切かどうかは一顧だにされないために、ニーズってなんだっけ?という事態に陥り、当然のことながら体感できる効果も薄いため、ITはいつまでも活用するために勉強が必要なものという扱いを受けることになる。
考えることをやめずに、きちんと活用できるものを作っていきたいものだ。

ちなみに、ドリルのレイアウトについては、あくまで例でしかない。せめて百まで同時というのはそれに越したことはないだろうが、個人的にはこの八までというのがかえって面白いと思っている。
字を覚えたい、本を読みたいという娘の好奇心には全力で協力するが、言語と概念で縛られる前の感覚というのは、とても興味深いので極力放っておきたい。
今、そういう矛盾した立ち位置に居る。

2014年1月3日金曜日

どこにどんな風に定着させるか考えている。余剰分を書き留めておく。

君に新しい肩書きを考えろとを指示してくれた人は、それをさらっと理解して支持してくれただろうか。では、意味が解らないという反応に対して、どんな対処法を教えてくれた?ちゃんとケツを持ってくれる人なの?
名刺交換する様になって何年か経つけれど、そういう疑問を無視しておくのをそろそろやめにしたい。

新商品と一対一で対応する新しい名前なら問題ない。
それと限りなく近い形で記号表現と記号内容の一致が簡単に見てとれる造語にも、そんなに問題はない。
だが、新しい名詞を作ろうとする試みには、それなりのエネルギーが必要だ。
誰もが知っている単語の中に組み込まれる方が、新しい単語を知ってもらうよりも格段に有効だということを、地味で心はときめかないかもしれないが、考えてみて欲しい。
知ってもらうということは、認知の段階からスタートで、これを軽く考えていると見られるケースは結構多い。
世の中には伝言ゲームというのがあって、日常にそれに似た現象もあることは既にご存知の通りだろう。うろ覚えの芸能人の名前を連呼するといった類いの笑い話もそうだ。
関心を持ってもらうだけでいつまでも足踏みしてしまって、新しい名詞はそれ自体が定着せず、結局は定番化できないというケースは世の中に蔓延している。
関心の薄い層にもそれなりに間違いの無い形で、中立よりも肯定寄りで記憶してもらうことが、キャズムとやらを越える長い道のりの中にあると考えれば励みにならないだろうか。

新しい分野を開拓する気概で新しい肩書きを考えて名乗る場合は、気概は気概で置いておいて、なるべく記号表現と記号内容が単純に一致する様に考えるべきだ。選択した語彙の意図しなかったところから、修行の深さや守備範囲まで見透かせてしまう場合がある。間違っても、語感だけで決めてはいけない。
遠回しにでも「意味の分かんない造語ですね」といった否定のされ方をした時の反応までセットで判断材料にされることを自覚していたり、肯定的に把握して有効活用している人間が少ない辺りに、そういうことを好む業界のタコツボ構造も見え隠れしている。それは、近年ソーシャルネットワークがそこはなとなく可視化してくれていて、別の岸辺から見ているだけの身としては、とてもくすぐったい。