2014年12月27日土曜日

冬が始まってもIngressですよ!

雪が降り始めて、のんびり冬のプランでも練っておくかと思っていたところに、DARSANAのアディショナルセルに金沢が選ばれまして、私の活動範囲もひっかかってしまったためバタバタした日々を過ごしていました。皆さんはいかがお過ごしでしょうか。
なにはともあれ、金沢セルはレジスタンスの勝利ということでとりあえず安堵したものでありますが、イベントの前後でスキャナーの暗黒面を感じること多々あり、エージェントたる者スキャナーから顔を上げてIngressを楽しめてなんぼなんじゃないのかと、インターネッツでコミュニティっぽいものを目にする様になってから、メンツは違えど幾度目のループなのか、全く他人を見て学習しない人たちというのはいつまでたっても同じであるなぁと、久々に香ばしいものを目にしたりもしています。
何が推し進められて共有されるべきなのかと、真っ暗な気持ちが、おっと、インターネッツの暗黒ですね。
私、お寺が経営する幼稚園を出てそのまま育った浄土真宗の門徒でして、親鸞上人が土と共にあった話しが思い出されるわけですよ。なにがヘイトですかと、そんなものを溜めるぐらいならスキャナーを捨てて田舎で就農したまえと、誰がどうだとか分析なんてどうでもいいから、向き合うもの見つめるものを変えろと、そんな次第であります。


サンタがきた!

氷見市と高岡市の間に二上山という山があります。名前の通り、山がひとつどんとあるわけでもないんですが、標高は概ね200メートルを超える界隈です。
万葉ラインというドライブコースが通っているほか、ハイキングコースもあったりしますが、今年の冬は早速雪に閉ざされてしまっております。
山上にポータルがありまして、雪が降った後にひとつ新たに生えて全部で6つ。普段から、なかなかどうして面倒臭くて行けません。
しかも先日まで、とりあえずは青かったんですよ。補強しに行くんでも良かったんですが、なかなか足が向きませんでした。
雪が降り始めて、このままこのポータルの所有者はガーディアンのメダルを得るのかしらと思っていたらさぁ大変!クリスマスイブに富山の無双啓蒙家wk2tさんが、サンタさんよろしく二上山登山を敢行し、最深部のポータル『仏舎利塔』を奪取、新ポータルには8レゾ一本挿しでユニークの実績獲得、他は白化という、まさに「どんな位置にあろうと、ガーディアンを期待すること自体がスキャナーの暗黒面である」というメッセージを込めたサンタ行為を実行していかれたのでありました。
そうですよ。ガーティアンなんてのはそもそも運だけのもんです。間違いなく幻想というか、欲そのものです。メダル?他の自分で実績を詰めるもので取ったらいいですよ。
DARSANA以降、富山にはクロスファンクションの雑談HOがありまして、wk2tさん曰く「ホームセンターで高い長くつ買ったから大丈夫」とか、全く見上げた体の張り方、流石無双。変わらぬ綺羅星ぶりでありました。凄い。


 イヤマテ、なにがサンタですか全く

感心してる場合じゃなかった。
wk2tさんが体を張ったのに、ただそれを愛でておくだけというのでは、近隣の抵抗派がヘタレ揃いということになってしまいます。
長靴で到達できることが示されたわけですよ。その場所が冬でもタッチャブルだとわかってしまった以上は、場所が場所だけに、必要以上に熱い場所にしておくべきだと、そう考えました。
なんでって、Ingressですから。
こんなこともあろうかと、カンジキは調達済みです。いわゆる今時のスノーシューですね。そんなこんなで、サンタさん登場から二日置いて二上山を目指すことにしました。
登りの道は意外なことに一人分の幅が結構しっかりと踏み固められています。
サンタさんひとりの仕事とは思えないので、おそらくは冬でもこのあたりを散歩している人が居るのではないかと推察しました。
とはいえ、目的地への道のりの半分ほどの地点で、道はサンタさんの痕跡のみとなりました。ここからがスノーシューのありがたみを知るところ。多少沈みはするものの、感覚的にはそんなに変わることなく淡々と進んでいけます。

アルバム:雪の二上山をサンタさんから解放せよ!
https://plus.google.com/u/0/photos/117382432887228975913/albums/6097353653576977441

ドライブウェイが埋まりきってどう進めばいいか訳が分からなくなる様な山でもないので、本当にただ進むだけの道のりです。
平和の鐘と同じ場所にある売店「万葉荘」前にある自動販売機は販売中止しているので注意。個人的には水分だけじゃなくてオヤツと替えのシャツも持ってきておくべきだったかしらと、そんな感じです。雪に慣れた富山県民の皆さんにとっては普通の雪遊びレベルですね。
さて、抵抗派の仏教徒して『仏舎利塔』を啓蒙派のサンタさんから解放し、他のポータルも確保してCFを作って任務は完了。
ついでに個人的に実行している『セーフプロジェクト』の撮影なんぞも済ませてしまう余裕のかましっぷりです。恐縮です。

下山途中、まさに道を踏み固めながらゆっくり登ってくる地元のおじさんとすれ違いまして、

「こんにちは」
「こんにちは。道、ありました?」
「ああ。仏舎利塔までつけてきました」
「おお」

などと軽く会話をかわしたものであります。
誰彼なくオススメできる場所でもありませんが、そんな調子ですよ。道は付けてきましたので、ガンガンいきましょう。この場所の取った取られたでヘイトとか、マジでナンセンスです。

2014年11月13日木曜日

やっぱり田舎でIngress

田舎エージェント視点で見ると、Ingressの実績積みと観光は切り離して考えてナンボ。
なんてことを考えていたんですが、案の定Ingressと観光とか、そういう眠たい話がチラホラ出てきてまして、私の居ります氷見も、一応観光地といえば観光地でして、なんとなく現在の状況をまとめてみようかしらと、つらつらと書いてみます。
11月の半ばにもならんかという今日も、外は冷たい雨が降りしきっていますが、雪のある冬の間に、平時と同じプレイが可能な気もしないわけで、私、生まれて初めて「かんじき」のリアル課金を計画し、いろいろと調査しております。
冬の氷見に寒ブリを食べに来たついでにIngressというのも悪い話しではないんですけど、びちゃびちゃの雪に降られながら、氷見でお散歩アプリの検証をした経験のある身としては、自信満々にようこそとは言えないのが正直なところであります。
魚を食べに氷見に来るなら断然冬ですけど、その場合は、それなりの覚悟でエージェント活動をお願いします。


観光?Pioneerの実績稼げるのかよ。Explorer?都会行くやんか。


そもそも田舎エージェントとしては他所の土地に行って稼ぐ実績のPioneerやExplorerが非常に重要なんですよ。
都会の人はちょっと普段の生活圏から出るだけでオッケーなわけですが、田舎ではなかなかそうはいきません。で、実際このPioneer目的で、比較的近県の皆さんに一泊していただく様な場所として、氷見市周辺はかなり目があるのではないかと考えているわけです。
ちなみに、現時点では富山の抵抗派は組織力に勝るものの、氷見に関しては啓蒙派の人数が多く、氷見はその時々で緑になったり青くなったりするバランスの取れた土地であります。
ここしばらくの情勢を鑑みれば、啓蒙派の皆さんは、富山市街地、高岡古城公園近辺と暴れてからの15時氷見入りでのんびり一泊で十分かと思います。で、次の日は夜の間に青くなった氷見でこってり遊ぶか、緑のままなら補給などに利用しつつ、早々に離脱して高岡か富山に向かいましょう。青ければ、丸一日遊べます。
抵抗派の場合は、Explorer狙いで軽く近隣を流しながら氷見入りが理想的でしょうか。氷見はぱっと見たタイミングでは多少青くても、放っておけば自然に緑色に変わっていきます。
PioneerやExplorerの数にあまりこだわる必要の無い都市部在住のエージェントは、家族と金沢にでも行って、スキャナーをチラ見して上の空になっていることを隠しつつ、みんなにこっそりハックでもなんでもしておけばよろしいので、他所の土地での実績が欲しいエージェントの皆さんには、本当に氷見の民宿で一泊しつつのこってりプレイをオススメしたいところです。
2014.11.13朝時点の氷見
とにかく、名所なんて現場で感慨に耽る余裕があればそうすればいいだけでして、Ingressに絡めるなら、プレイしやすいかどうかだけが、場としての価値なのではないかと、そう考える次第。氷見の名所、深掘りすると切りがないんですけど、ライトなところは風景系なので、風景なにそれ美味しいの?という皆さんには確実にプレイに集中していただけるものと信じています。
右下辺の氷見駅から右上辺の阿尾城址までは4.1kmの道のり。全て徒歩圏内と考えるもよし、氷見駅前とこの地図の中頃にある氷見番屋街では、09時から17時まで自転車200円、電動アシスト付き自転車500円にて貸し出しています。



氷見で何ができる?


地元プレイヤーの人数も少なく、妙なローカルルールや作法の無い富山県は、他県に比べても比較的遊びやすい場所になっています。バカなリンクを貼ったからって、COMMで嫌味を言われたり、リチャージしただけで同派閥エージェントが飛んできて文句を言われるなんてこともありません。
旅行中だとなかなかできないCF作りや、人口の多い場所ではそもそも難しい多重リンク作りなども、氷見では比較的簡単に楽しめます。
氷見市街地の複合多重リンクは今も考察が進んでいる
もし、氷見でプレイ中に敵エージェントの気配を感じたら、路地に身を隠してみましょう。富山県西部在住の練度の高い一部のエージェントが相手ならば、奇妙な鬼ごっこが経験できる可能性があります。
氷見の市街地は基本的にはかつての大火で焼かれて碁盤の目の様になっていますが、少し曲がっていたり、細かく刻まれているため、追ったり隠れたりには非常に適しています。
ワンコを確認したら、それをスタートの合図と考えて構いません。相手のキャプチャなり目視確認を試みてください。
ワンコされている段階で既にあなたは目視されていると考えてください。周囲に人は居るでしょうか。あなたはエージェントとして特定されているでしょうか。反射的にキョロキョロしては、特定される可能性もあります。その辺を考慮して鬼ごっこをスタートしてください。
富山の啓蒙派は比較的シャイな人が多い為、抵抗派の皆さんは、啓蒙家と鉢合わせることができたら、次の行動に移ると良いでしょう。おそらくその後しばらくはそっとしておいてもらえる可能性が高いです。
当然ながら、翻弄され、相手の都合でポイされる辛い気分を味わう可能性もありますが、Ingressはモンハンやドラクエじゃねぇ、隙を突いて敵のスキャナーを無力化出来るようなゲームだったら、自分は何回やられたのだろうかと、そんなことに思いを馳せてみましょう。
もちろん、開始はワンコ前でも構いません。近所に居るかもと思ったら即隠れる。むしろ、ワンコされたということは、殺られたということです。いち早く行動を開始して地元民をキャプる勢いで動くことをお勧めします。
あなたが啓蒙家の場合、多少勇気が必要かもしれませんが、抵抗派に声をかけてみましょう。基本的には気さくな対応をしらもらえる筈です。
富山の抵抗派コミュニティでは、近隣で食事のできる場所のオススメ情報も共有しています。富山で食うなら魚しかないとか、そんなこだわりは無いということであれば、様々な地元飯情報が得られるものと思います。

Ingress恐ろしい遊戯……。

2014年9月26日金曜日

アイディアをシェアして世界が変わるかって、何を見て何を考えてしまうんだって話し。

TEDxを富山県内で開催すべく、普及活動ということでTEDを利用した勉強会の運営に加わって間もなく一年になる。
今月のネタはこの動画だった。

動画から見て取れるプレゼンを上手くこなすためのツボを皆に解説するというのを担当しているのだけれど、動画を見た後、13名の参加者に聞いてみた。
「家に3冊以上詩集はあるか?」
「日本の現代詩の詩人と言われて、誰か名前を挙げられるか?」
「何か、詩をそらんじることはできるか?」
回答は無かった。
「短歌や俳句でもいいから……。百人一首は?」
これも、反応できる人は居ない。

この動画を、いじめられた経験の告白と見ることは簡単だ。いじめ、カッコ悪い。問題意識を持ったり、自分と引き比べて共感してみたりしてもいい。
折角なので、いじめを撲滅するためになにかできるかと考えて、結局なにもしないのはよろしくない。実は、この動画を見て心動かされた人には、簡単に実行できることがある。
このスピーチをしているのは詩人で、昔いじめられていた彼が、皆の前で詩の力を見せつけている動画だ。
だから、彼が発揮している詩の力の存在を信じて、詩人の詩を読もう。

生活の中で、言葉による美的体験を与えてくれるものに触れる機会を、どのくらい意識して持っているだろうか。
言葉による美的体験を作り出す最前線で身を削っているのが詩人だ。
詩人の詩集を買って読む。これだ。
みつをじゃない。詩人の詩だ。折角なので、思潮社って出版社が現代詩文庫というのを出しているから、とりあえずそこから見繕う感じでどうだろうか。

国語の教員が詩の指導ができないと言っても軽く見られたりクビになったりしないのは何故だろうか。
日本語が和歌や俳句という短い定型詩の形式を持っているにも関わらず、いざ「暗唱できる詩はあるか」と問われると「ひとつもない」と答えてしまうのは何故か。

ふるいけや かわずとびこむ みずのおと
なつくさや つわものどもが ゆめのあと
さみだれを あつめてはやし もがみがわ

これだけでさらっと3つ。頓知でもなんでもない。

芸術がわからないひとつの原因は、芸術に触れていないからだ。
触れるモチベーションをくれよなんてのは、単に人生を豊かにする美についての教養を拒否する姿勢だ。
それは浅薄な教養拒否主義の告白に過ぎないが、そこからどうしても離れたくないなら、気の効いた経済学者が詩を読まなかったことによる機会損失と一生のうちに被る経済的被害について算出していないか、心ゆくまでインターネットでも使って探してみればいい。
美しいものに経済効率を求めるからおかしなことが起こるし、美しいものからは心を刺激され、圧倒されることだけを求めればいいのに、そこにすらモチベーションとかいう姿勢から、考え直してみるのも良い。

わからない。はなしが合わない。これだって立派ないじめの根源になる。
美しいものを語る言葉を使う連中とは話しが合わないと感じるなら、まずは言葉に慣れてみることから始めてはどうだろうか。
言葉の暴力には簡単に触れる事ができるのに、言葉の美に触れる事を放棄するのは、それなりの時間を生きて呼吸している大人としてどうだろう。

気をつけて20時間練習すれば、そこそこいける様になると説いて実際にやってみせているTEDの動画がある。

日本語字幕が付いていないので、動画の内容を日本語に書き起こしたサイトのURLも貼っておく。http://logmi.jp/12933
詩に馴染むために時間を使うなら、こんな感じだろうか。
  1. どんな詩人が居るか調べる。
  2. 良さそうな詩集を買ってみる。
  3. 気に入った詩人を見つける。
  4. 詩に慣れるぐらい読む。
  5. 音読や暗唱もやってみる。折角だからスマホを持ってたら上手く声に出せているかもチェック!
詩人になる必要はない。
「深く語ることはできないけれど、なんだかいいものだよ」と、誰かに言える様になるだけでいい。
考えてみよう。そんなものを幾つ持っている?
ここまでくれば、少しは使う言葉も変わっている筈だ。言葉が変われば世界は変わるわけだから、そこから確実にスタートできる。言葉の根源の一部に触れているのだから。言葉の暴力についてもこれまでより深く考え、生活できる様になっている。つまり、行動できる様になっている筈だ。

2014年9月9日火曜日

田舎でも、面白おかしくIngress。

近隣の啓蒙派はどういうわけか、万里独行無双型のプレイヤーばかりで、CFどころか、ポータルを青にすれば間を置かずにやってきて壊していくので、おかげさまで低レベルプレイヤーの早期育成に全く困らない。
ただ、精神衛生にはあまりよろしくないのも確かで、そういうゲームとはいえ、賽の河原とは斯くの如きかと思わないでもない。
が、こうなると人間また楽しみを見つけてしまうもので、ここを潰したら来るだろうか、ここにこんなリンクを張ったら飛んでこないだろうか。こんなことしたら、あんなことをしたら、やった以上にいろんなことされるんだろうか……。
などと考えながら、自分のできる範囲と時間を工夫してプレイに励むわけだ。

万里独行無双型

田舎のIngressは車移動が常。
近隣の啓蒙派が概ね万里独行無双型と言ったが、その中でも、八月の半ば頃から抜群のプレイ時間を誇る綺羅星の様な啓蒙家が居る。
一応は社会人らしいと、たまたま補足した別の啓蒙家から、それとなくは聞き出しているものの、朝恐らくは客先に直行ということで始業前の時間からプレイを開始し、あわよくば直帰をもぎ取って、ともすれば隣県のポータルにも足を伸ばす力の入り方に、我々抵抗派一同、恐れをなしている。
朝の部、午前の部、午後の部、夕方の部、夜の部、深夜の部と、全く抜かりなく、ともすれば終了の場所と次の日の開始の場所が近い場合には、すわ車中泊かと、とにかく抵抗派連絡用のハングアウトでも、彼の話題が出ない日は無い。

今日の昼のできごと

今日、少しでかける用事があり、なんとなくルートを思いついたので、多少の寄り道にはなるものの、都合4カ所のポータルを落とし、リンクを張りながら往路、目的地からの復路でなんとか多重を完成させられないかと考えて動いてみた。
ポータルをひとつ落とし、自動車で8分の場所にある次のポータルを奪取。
そこでハックしても鍵が出ずに難儀していたところ、先に落としたポータルに早くもお運びがあるとアラートでわかった。件の啓蒙家だ。平日の昼前だ。
さて、当初考えていた多重リンクの点を変えたものか、どのみち帰りも寄れるから今はとりあえず、あまり考えずにおくか……。という調子で、とりあえず2番目のポータルから3番目のポータルに移動しそこを解放したぐらいのタイミングで、2番目のポータルが攻撃されているアラートが出た。付いて来た。
都会ではひっくり返したり、ひっくり返されたり日常茶飯事かもしれないが、平日の昼間に敵エージェントに後を追われるなんて経験をした人は少ないのではないだろうか。最初のポータルと2番目のポータルの距離は車で8分。2番目のポータルと3番目のポータルの間は車で4分の距離だ。
意を決して2番目に戻ってみた。居なかった。
そこには、L7とL8のレゾネーターが挿されたポータルが残されているのみで、噂の無双啓蒙家の姿は無かった。とりあえずポータルを取り戻して、もう一度3番目のポータルに戻る。そこにも姿がないことを確認し、4番目のポータルを目指す。
が、走り出して3分もしないうちに、攻撃のアラートが出る。彼だ。
この時点で、私は4番目のポータルに向かう事を諦めた。多重を張ってから攻撃してくれれば、せめて、CFのひとつも作ってから攻撃してくれれば、餌食としても、もっと美味しかったものと思う。

今日の夜のできごと

そもそもが一昨日のことになる。
抵抗派の先達から、隣県の山中に作ったポータルが生えたものの、すっかり道を忘れてしまって放置してあるという話しを聞いた。
場所は思い当たる。確認したところ、まんまと啓蒙家に発見されて、レベル1のポータルとしてintel map上では発見しにくい状態になっていた。ガーディアンのメダル目当てだろう。どちらにせよ、啓蒙派に場所が知れている以上、このポータルの存在を明らかにしなければならない。
それ以上に、これを私が取れば、恐らくはこのポータルを落としに、無双啓蒙家が万難を排してここを落としにくることだろうと、そんな期待をした。
昨日、その山間部の手前の地区に用事があったので、それをこなすついでに早速そのポータルを奪取し、レベル5にしてわざと長いリンクでCFを作った。ここまでが昨日のこと。
今日の夕方のことだ。昼に私を追ってきた無双啓蒙家が隣県で活動していることを確認した。直帰からの小遠征と見て取れ、あるいは山中のポータルにも立ち寄るのではと期待はしたものの、距離的にも車で1時間以上かかる。恐らく、彼に土地勘は無いものと思うし、日も暮れかけていて、到着する頃には暗くなっている時間だ。
だが、彼は期待を裏切らなかった。僻地ポータルを破壊し、一本挿しでもなんでもなく、きちんとレベル5ポータルを構築して、レアのシールドとフォースアンプを挿していった。
さて、その僻地からの戻りが問題だ。彼がホームタウンに戻るには、遠回りするか、暗い山中を行かねばならない。
1時間ほどで下山して、何処かを攻撃しながらホームに戻るものと思っていたが、2時間以上音沙汰がなく、少々心配になり始めているものである。
Ingress恐ろしい遊戯……。

少し心配になりましたが、どうやら啓蒙派8ポタ脇でのんびり補給しているところを目撃された模様。少しだけほっとしました。
地元民の他はちょっと抵抗を感じる場所を混ぜ込みながら、これからもポータル申請に励みます。

2014年9月1日月曜日

平常時は無敵扱いの愛で地球が救われたことがないから、愛は地球を救うって宣言したら強いフレーズになる。これ、大声で言うにはセンスやそれらしい覚悟が必要ですよ。

残念ながら中学に入った辺りから24時間テレビを見ていないので、もう30年近く縁遠い番組なのだけれど、毎年みんな飽きないなぁと思いながら、今年も近年のループネタ、「ボランティアとギャラ」「仕込みやらやらせ」という話しで盛り上がり、なんだかんだで、みんなテレビ大好きだよなぁと、それはもう、ネット経由でも十分に目に入るので、つらつらと考えていた。

諸々の啓発と、いわゆる弱者やハンディキャッパー、社会的なマイノリティな皆さんと、そうじゃない人々が、立場の違いから生じる互いのロジックとエゴを丹念にぶつけあうだけの24時間テレビをやれば、万事解決じゃないだろうか。
あとは、露悪的にならないバランス感覚にお金を十分にかけて、そういう番組に対して、地味過ぎとか辛いとか、そういうことを理由にオワコンとか抜かす奴を吊るし上げるネット工作員も組織してガンガン雰囲気作ればいいんじゃないだろうか。

『愛は地球を救う』と言い続けるには金がかかります。当たり前。普通に不可能への挑戦を叫んでいるわけだもの。新規顧客を獲得する以上のコストかけないと、どうにもなりませんよ。本当に救う様になったらハッピーなのに、みんな文句ばっかりですよ。
こんなんじゃ、下りのエスカレーターを並々と水入れた紙コップの水をこぼさない様に走りながら、上に豆腐を配達しようとしているみたいなもんですよ。
だからこそ、やり方がクールじゃないからダメ呼ばわりされるわけで、それが昨今、インターネッツのおかげでクールじゃねぇなと下るエスカレーターの速度が加速しているわけですよ。
現状、全国で「いいこと」に協力しているつもりになっている人々は十分に組織されているんじゃないかと、そんな風にも見えているわけで、風評が本格的になって面倒なことにならないうちに、「ボランティアとギャラ」「仕込みやらやらせ」とかでループして喜ぶ様な邪魔な芽は摘んでおくのが丁寧な仕事じゃなかろうかと考えるものであります。負けないでいただきたい。

命を削っているこん平師匠に大歓声あげている連中はTwitterで確認しているので、本当にもう、テレビの前の皆さんというか、ネットとテレビを併用している皆さんを、剣闘士が残虐な方法で死なないとおさまらないローマ市民の出来損ないみないたいな状態からなんとか救い出して欲しいものであります。
というか、命削るのも仕事ってメンタリティじゃないかと推察できる人に、わざわざ命削らしてる段階でノーアイディアだよ。
明敏に皆さんを満足させられるのは、きっとテレビだけだ。で、テレビでしか実現できないってことは、そういうテレビ番組には大勢の人が関わらないと成立しないと思うから、当然お金かかる筈だ。です。

あれ?見てないから言えるだけかな。実際、24時間テレビ見たら腹立つかな。
というか、こんなことに頭使いたくないので、本当に来年からはお願いしたい。
俺は自衛のために夏の終わりにネットつながない期間をもうける方向で今から修行しようと心に誓いました。

なんと!書きながらなんとなく思い出した『タイトルの魔力』Kindle版だけになとる!

2014年8月26日火曜日

点でしか把握できないこと

氷水ネタは散々茶化したけれども、特段沈静化するものでもないので改めて乗っておきます。

母数やソースの少ないところから始める。
自分の身の回りでネットで、ホーキング博士に言及する書き込みを行った人は、ここまで一人だけだった。
その人らしいいつもの皮肉で、「ホーキング博士がかかっている病気なのに、みなさんご存知ないんですね」といった内容の書き込みを見て、ホーキング博士、超有名だと思っていたけれど、そうでもないのかもしれないとも思いはじめていたので、たった一人の書き込みだけれども、我が意を得た気持ちになった。
先日、とあるお医者さんと雑談で、氷水というキーワードが出たので、
「なんでホーキング博士のこと、忘れちゃうのかね」
「みんなそれぞれ自分のことで忙しいんすよ」
「ナルホド」
といった会話を交わして、それもそうかと納得した。

確かに、あらゆることが常にそうだ。 他人の病気や困難についてアイコンは機能しない。
キーワードが出て来てもアイコンを思い出さないのが普通。アイコンを見ても行動につながらないのが普通。
だとしたら、難しいことを言っている車椅子の天才を見ても、それ以上の関心を持たないことが普通の忙しさだ。何度テレビのニュースで見てもだ。
なんだかんだで、人の「心地よい」とか「自分のためにプラスになる」という欲望との直結がなんだかんだで効果的なキャンペーンになることは確かだ。
なんのことはない。それがマーケットやブランドの理論だった。

どうしてそういう普通から離れられないのか。忙しいから忘れてしまうことはあるだろう。
人なのか人でないのかといえば、人の筈だ。人格だ。
各々生活もし、心も持っているのに、セグメントを構成する要素でありペルソナに合致する「人」でどうするんだと心地よさと個人的な不快だけで構成されて、あくせくと長生きを目指す情報ばかり見ては感心してすぐに忘れてどうするんだ。
「何度も聞いている筈なのに初耳の問題」「目にとまっても問題として認識されないこと」は社会から一切なくならない。それでいいのか? 確かに足下の身近な問題ですら、行動しないでいられるし、何かしていれば活動家だと言われるのが普通で、一人の人間にカバーできることには限りがあるけれど、おい。普通って一体なんだ。

過去の災害は忘れられ、改めて人が死ぬ。教訓は風化して、改めて人が死ぬ。理論上は問題ないものの運用に無理があって事故が起こる。
これが普通だとしたら、普通の撲滅について真剣に考える必要があるんじゃないだろうか。
活動はいくらもあるだろうから、せめて極端な啓蒙の必要ない社会を作るための、もっと冴えたアプローチはないものだろうか。
いや、ずっと、一貫してそんなことを考えているので、これは別に皮肉でもなんでもないです。

『おそいひと』、インディーの映画なので実際そんな映画があったのかどうかも都市伝説の域に達しつつありますが、結構中古で流通していて、日本橋で100円とか200円でワゴンの中にあったという報告もあります。Amazonでも購入可能です。
なんだアフリかよということではなくて、私自身の一貫性についての担保ってことで。

2014年8月15日金曜日

消される覚悟で真実を曝露するから、市民の皆さんに知って欲しい。

最近ちょくちょく見かける、陰謀論に簡単に納得する全ての分別ある大人に考えて欲しい。
そもそも陰謀論というのは、素直に信じるためにあるのではなく、分別ある大人にとっての最後の娯楽として地上に存在しているのだ。
その覚悟をしてもらうために、これまで私が探し求めてきた世界の真実と、その輪郭についてここに公表しようと思う。

インターネットは監視装置

先ず考えて欲しいのは、インターネットも多くのパソコンで使われているOSも米国製だったり、米国由来の技術が使われている。その意味についてだ。
つまり、全ては影の支配者に盗聴されているということ。iPhoneに秘密裏にアクセスできる窓が開けられていたことが最近報道されているし、Facebookを始めとするあらゆるソーシャルネットワークは実際のところ民衆の監視装置に過ぎない。

そんな環境で、真実は常に不完全な形で小出しにリークされ、その都度細かく否定され続けたり、ニュースそのものに関心を持てなくなる様にコントロールされている。
例えば、先ほどのiPhoneにアクセス云々という報道の前には、レノボ製のPCからは中国に情報を流しているという報道があった。企業からの情報漏洩も止まるところを知らず、我々は自分のプライベートな情報が我知らず利用されることについて、どんどん感覚を麻痺させられている。

そして、影の支配者は我々民衆を刺激し、その反応を観察している。つまり、我々は常に監視下にあり、常に適切な形で真実を隠蔽する情報操作を受け続けている。様々なサイトを訪問して気づく人も多いだろう。一度見た商品の広告が永遠に表示され続けている。そのくらいの追跡は簡単にできることなのだ。

マッチポンプで消されていく真実

日本では、インターネットではマスコミをことをマスゴミと呼んで揶揄し、テレビはインターネットをバーチャルで役に立たないもの。ともすればセックス目的のいかがわしいものと決めつける。 こうして両方に争いを演じさせながら、どんどん民衆から判断力を奪っていく八百長試合が繰り返されているというのが真相だ。
社説やコラムが、極端にレベルの低い新聞もそうだ。何が言いたいのか雰囲気で理解するしかない社説やコラムを毎朝読者に読ませている新聞があれば、その新聞社は、かなり積極的に情報操作に加担していると考えて良い。

スクリーン、スポーツ、セックスの3S愚民政策は、GHQが日本に対して行っただけではなく、米国民自体にも行われてきた。娯楽のふりをして、真実を不完全な形でリークして否定するというマッチポンプで、我々は世界の真実を嘘だ、創作だと思わせられている。
ハリウッド映画だけではない。テレビ、ラジオ、インターネットを使っている限り、現代社会ではこの流れからは逃れられない。

インターネットの普及以来、異星人に関して『未知との遭遇』や『V』の様なある意味で大雑把な作品が見られなくなったことについて、考えてみて欲しい。これがつまり、情報発信してそれに対する反応を、より細やかに観察した成果だ。我々は、ほんの十数年の間に、より巧妙に「作り話」だと思わせられている。
これは、あらゆる分野に於いてそう言える。

軍産複合体、穀物メジャー、医療マフィア、イルミナティ、諸々の巨大な利権を持つ組織。あるいは異星人。あらゆる陰謀が世界を覆い隠しているのだ。

ここまでおつきあいしていただいた皆さんは、思考も整理できて、そして、お気づきになられただろう。
明敏な市民の皆さん。真実の扉はもう情報の外側にしかない。
そしてまた、皆さんの日常に目を向け、こういう類いの情報を、なんだかんだで積極的に利用している自己啓発系の人々やマルチ、マルチ紛いの豚にも気をつけていただきたい。

ここからが命がけ。旧支配者と呼ばれる

だが、陰謀論の真実は(窓に窓にとくわせふじこは割愛)

2014年7月17日木曜日

おまんこをカジュアル化するためには何が必要って、逮捕は幸先の良いスタートじゃないか。がんばっていただきたい。

【7月16日の夜、寝る前にFacebookでつらつらと書いたものを、ちょいと要望があったので、多少書き直してこちらに転載】

オッサンがたまにまともなことを言っているのでシェア。
流石であります。意見が合う合わないは世の常。やっぱり普段から横目で見ておかねば。
以下、引用は冷泉彰彦氏のブログから。

漫画家で美術家の「ろくでなし子」氏が逮捕されました。「わいせつ電磁的記録頒布」という容疑で、警視庁保安課が逮捕したと発表しています。問題視されたのは、女性器を「下卑たものとして扱うな」とか「自分にとっては手足と一緒」だという同氏の主張を込めた一連の創作活動の一部についてでした。
 報道によると、ろくでなし子氏は女性器をかたどった小型ボート(ネット上で見るとバナナボートのパロディのようです)を制作するためネット上で寄付を呼びかけ、寄付をした人に3Dのデータを配ったことが問題とされているようです。
http://www.newsweekjapan.jp/reizei/2014/07/post-664_1.php 

全文引用してもアレなんで、読んでください。思想信条というのは、こうやって大事にしなあかんと思うので、後はだらだらとまとまりなく書き垂らして本日の営業を終了します。
俺としては、ろくでなし子の活動自体は特段熱烈に支持するものではないんだけれど、皆が普通に共有している概念を脅かしたい。「おまんこ」を今の状態から変えてしまいたいという意図については、よく伝わってくる。
なんの臆面もなく手前味噌で恐縮だが、セーフプロジェクトでも、皆さんの語彙を積極的に汚染するわけで、概念を変えるというのは、俺もやりたいことではあるので、気持ちはわかるつもりでいる。

幸いなことに、セーフプロジェクトを通じて「みつを撲滅」を叫んでも今の日本では逮捕の理由にならないし、オマンコではないけれど、作戦チンポッポーは昔から利用させていただいていて、Twitterなんかではシモネタやらくだらないことを適時挟んでおけば、多少突っ込んだ意見をつぶやいても、ややこしい人に絡まれにくい上に、この煙幕に耐性のある人間とは適度に刺激しあえるという便利技。これは普通に成立する。
「あの人、ちょっと頭がおかしい……」といろんな人に思われてしまう諸刃の剣だけれど、なんつうかTwitterはあくまで適度に頭使う娯楽なので、煩わしいのは嫌だし刺激は大事だから、積極的に変な人でいいや。というのが私のスタンスであります。
ろくでなし子は、今の世の中で作戦チンポッポーだけが成立して、作戦マンコッコーが成立しないのはおかしいって言っているわけですよ。
男女は平等だろうし、確かにおかしいという彼女のロジックは、多分誰もが理解できる筈だ。この点は支持したい。

支持といえば気になるのは、猥褻な3Dデータを買ったとされる男性の存在。
彼はお巡りに「バカ!こんなもん猥褻のつもりで入手すっかよ!おちつけ!」と言えたのか言えてないのか。
テキトーに共感する程度の奴を、こういった、ちょっとラジカルかもという活動に引き込むのは危ないってことを、今回はよくわからせてくれた様に思う。

ってわけで、芸術の連中は芸術の言葉で、テクノロジーの連中はテクノロジーの言葉で、フェミもアンチフェミも。
各々の思想信条の部分が問われている。斜に構えたペンネーム使ってる女のマンコのプロジェクトだけにくだらないとか思うかもしれないけど、そこをなんとかしたいってのが活動の本質だっただけに、捨てた奴から脱落していく素敵な構造になっている。
そういえば、法律の人達は安定して法廷でどうするってロジックに落とし込んで行って、それはそれでマンコのカジュアル化という意図から少しずれていくのが面白いところ。
卑猥か卑猥じゃないかでないと成立しないんだろうけれど、おまんこの解放ってのは、猥褻なままでいいので、チンポぐらい気軽なものにしろよということと理解している次第。

そう思うとやっぱり、「逮捕は美味しいからがんばれ!」と、本人に伝えるのが一番なんじゃないのかと考えるわけだ。彼女にはここで頑張っていただいて、回り回って「ええじゃないか」につながらないかなぁと、ほのかに期待しております。かなまら様だけじゃなくて、桃色の巨大な女性器の神輿もガンガン繰り出されるわけですよ。夢の様ですね。

ところで、今みたいな状態だと、コンセプトが複雑で大事なものほどクラウドファウンディングの利用は無いっすね。足下ぐらぐらになっちゃう。
作品制作に金を引っ張ってくる才能がますます重要になってきている様子は、暫く前に世界の御大アーシュラ・K・ル=グウィン先生を絶望の淵に叩き込んだジブリのアレがとっくに証明していますな。『おそいひと』以来、久々に本気でネタを転がしている身として、プロデューサー大募集であります。
さぁ、明日もがんばろう。

2014年7月3日木曜日

Facebookがユーザーの感情操作実験ですって

[じわっと継続しそうなネタなんで、とりあえず現時点を書き留めておきます。]

Facebookがユーザーの感情操作の実験をしていたそうで、倫理に反するとか騒がれてますが、確かに気分は悪いですね。
最近、Facebookユーザーを対象に、本人の了解なく一週間にわたる感情操作実験が行われていた。予算の一部は陸軍から出ている。この研究は、ユーザーのニュースフィードの内容が、ユーザー本人の感情形成に影響を与えるかどうかを発見することを目的とし、歪曲されたコンテンツを見た後の投稿内容のトーンを測定することによって判断するものだ。
70万人近いFacebookユーザーが、ポジティブあるいはネガティブに偏ったコンテンツを見せられた。研究の結果、ポジティブなニュースフィードを与えられたユーザーはよりポジティブな内容を投稿し、ネガティブなニュースフィードを与えられたユーザーはネガティブな内容を書き込んでいたことがわかった。
http://jp.techcrunch.com/2014/06/30/20140629facebook-and-the-ethics-of-user-manipulation/
とはいえ、人間なんてのは、近くに居る誰かに影響されるのは当たり前で、Facebookともなれば、本当ならちょっと縁遠い人の行動やら感情まで見えてしまったりするんですよね。
そうなると結構客観的にボスとかリーダーへの追随やら、馴れ合いのコロニーやら、職業やら出自の違いやら、罪の無いルサンチマンの噴出(笑)なんてことは、日常的に観察できるわけじゃないですか。
そこを更に操作しようだなんて不潔よ!とか、そういうことなんだけど、そもそもFacebookやってたら妙な耐性が付く様に思えるんですが、ダメ?俺だけ?
何かを見て何かを考える前に、感情に走っちゃいかんですよ。テレビ相手に本気で怒ったり泣いたりする人とか、いまどきはドン引きするじゃないですか。
訓練されていない個人は、普通に感情を垂れ流すんですよ。そこに対しては「腹でも減てるのか?」「ハグが足りないのか?」「いい気になるなよ、このエロガッパ!」とか、愛らしいツッコミの応酬でハハハと笑うのが、平成の世で推奨されるインターネッツ江戸しぐさってもんでしょ。

アホのコロニーにアホと言ってはばからない勇気と、そのアホと同じ様なアホコロニーを持たない奴だけが、アホにアホと言えるんだぞ自問しろ。というジーザスクライストの教えがおぼろげにだけど記憶に刻まれていることを、改めて自覚させてくれる。Facebookってのは、そんな風にありがたい存在だと考えるわけです。

読まなあかん本が多過ぎて時間は無いんだけど、なんとなくで生きるには人生が長過ぎると思える程度にインターネッツは機能しいて、ネット見てたらよくわかるのが、立ち位置が違えばロジックも違うってことで、だからこそ、全一の何かに従しようぜ!みたいなことをしている連中が、いかに不健全かがよくわかると思うんですけど、いかがなもんですかね。
ネガでもポジでも、絶対位置は同じで、それこそ人を巻き込んで共感程度で集金したり、カモったりカモられたりで組んず解れつしない分、ネガ側人達の方がマシな気がしますよ。
ネットを捨てて町に出ろってことじゃなくて、普通に頭使おうよ。お前は誰だ?ってことですよ。
インターネッツのこうしたサービスについて言うなら、マーケティングされない権利は必要かもしれないけど、まだまだ先の話しになりそうだから、地味に自己防衛しようぜということでもいいかもしれない。

2014年4月18日金曜日

いわゆる“キュレーション”のレベルの件

今朝、Facebookで目撃した動画。
※実物が存在しているので、リンク貼りますしネタにもしますが、閲覧数は稼がせたくない!そんな困った状態なことをここに告白します。
http://feely.jp/278/で紹介されてたもんですが、曰く、
たったワンフレーズの言葉を変えるだけで、全てが変わってしまうそんなことを感じられる動画です。

まさに、いわゆる「キュレーション」でスピリチュアル系のセミナー屋の動画の文脈が微妙に変わる瞬間ですよ。
そんなウンコの様な現象には、もう歯止めが効かないものですかね。なんか、広告料みたいなお金でも発生してるんでしょうか。
で、このスピリチュアルなセミナー屋が動画の閲覧数だけを取り出して、多くの人に支持されています!とかいう風に宣伝したら、その数に騙されてまたセミナー屋にお金を渡してしまうスパイラルにみんなで加担という流れ。
俺も今こうやって動画を共有してるんで、自分のブログを汚して、連中に加担しているというなんともいえない状態なわけです。

ちなみにこれ、お金が沢山放り出されるんじゃなくて、みんなから声かけられまくって触られまくってお金も、という描写にすれば、看板書き換えてるネェちゃんの靴を触るってのと対比もできるし、ワンネスとかそういうスピリチュアル主張とも絡められてもっと皆さんの意識に刷り込めるものがあったろうに、残念ながらこんな構造。


  • 謎めいた一人の女が何かをして去り、その結果利益がもたらされる。
  • 彼女の靴にしか触れることができない。彼女は上位存在。
  • 利益を得られて初めて、改めて彼女から肩に触れてきて、それでも何があったのかという全貌は明かされることがない。


スピリチュアルなものは、あくまでも不過視で感じ取ることしかできないけれど、利益を得る事はできるし、改めてしみじみ感じてもオッケーという理解があってのシナリオだってことですよ。
更に一段突っ込めば、言い方変えて効率よくマネーをゲットだぜ!という制作側のシンプルな深層心理も、そのままビンビン伝わってきます。
おお、作品ってのはマジで内発なんで、とにかくフロイト的な防御をするか、全部どばーっと出すかしなきゃダメって教訓を思い出しましたよ。自分でやるときは気をつけます。
なにはともあれ、キュレーションとかやってる連中も含めて、透けて見えるんじゃなくて、透かして見るってのも大切ですね。
一番いいのはスルーか?俺が率先して失敗していて、大変申し訳ないんですけど。

2014年1月9日木曜日

なんでこんな結果になるのか考えてみる。

娘が漢字に挑戦したいと言いだし、聞かれたらその漢字をなんと読むのか教えていた。
そのうち、「そら」は漢字でどう書くのか、色の名前を漢字で書くとどうなるのかという質問が始まり、聞かれるままに漢字を書いてやる様になったが、言われるままに書いていると簡単に難しい字に行き当たる。そうなるとすぐにオーバーヒートして質問しながら寝てしまうので、漢字ドリルを買い与えた。
で、誇らしげに、漢字が書ける様になったと言って書いてみせた最初の成果がこれ。


一から八までなんだけれど、なぜ十までじゃないのかと聞いたら、ドリルでは違うページだったからまだ練習していないとのこと。ドリルの都合で、彼女の中では八までで一区切りになった。
なんだその区切りはという違和感はあるが、数は数えられるものの、まだ桁が上がっての区切りの感覚も育っていないものと思う。ひょっとしたら、性格も関係しているかもしれない。

彼女の視点では八までを練習してそこで一区切りという感覚が自然で、九と十は一緒に覚えてしまうものではなかった。
人間、慣れてしまうことで、違う視点を想像できなくなることはよくあることだという話しもそうだし、何かのフォーマットを選択するにあたって、本当にそれでいいのかということの検討も必要だ。
例えば、この漢字ドリルがそうだ。寝てしまうから、なんとなく対象年齢だけを見て漢字ドリルを買い与えたけれど、きちんと概念のグループめいたことを考えて、一から十、ひょっとしたら百や千も同時に練習できる様にレイアウトしてあるものを選ぶべきだったかもしれない。

これはホームページや様々な情報発信の施策でよくあることだが、何かを見て「あれと同じものがいい」ということを決める前に、それがいいなと思ったのは何故か、本当に自分達もそれと同じでいいのかということを確認すべきだ。
完全なコピーが成立するわけもなく、いまどきはターゲットや予算、費用対効果を考えるという決まり文句も出てくるのに、結局はただ型だけをなぞって制作された結果、全く誰からも見向きもされなかったり、アクセスの傾向を見たら単純に通り過ぎられているだけだとわかる回り道を、苦労してWeb上に登場させることになる。
ターゲットを想定したところまでは良かったが、ターゲットの視点についての考察や、自分達がそのターゲットに向けて発信すべきものについて全く考えていなかったり、真似したい「あれ」ありきで実際はそれがひな形としては不適切かどうかは一顧だにされないために、ニーズってなんだっけ?という事態に陥り、当然のことながら体感できる効果も薄いため、ITはいつまでも活用するために勉強が必要なものという扱いを受けることになる。
考えることをやめずに、きちんと活用できるものを作っていきたいものだ。

ちなみに、ドリルのレイアウトについては、あくまで例でしかない。せめて百まで同時というのはそれに越したことはないだろうが、個人的にはこの八までというのがかえって面白いと思っている。
字を覚えたい、本を読みたいという娘の好奇心には全力で協力するが、言語と概念で縛られる前の感覚というのは、とても興味深いので極力放っておきたい。
今、そういう矛盾した立ち位置に居る。

2014年1月3日金曜日

どこにどんな風に定着させるか考えている。余剰分を書き留めておく。

君に新しい肩書きを考えろとを指示してくれた人は、それをさらっと理解して支持してくれただろうか。では、意味が解らないという反応に対して、どんな対処法を教えてくれた?ちゃんとケツを持ってくれる人なの?
名刺交換する様になって何年か経つけれど、そういう疑問を無視しておくのをそろそろやめにしたい。

新商品と一対一で対応する新しい名前なら問題ない。
それと限りなく近い形で記号表現と記号内容の一致が簡単に見てとれる造語にも、そんなに問題はない。
だが、新しい名詞を作ろうとする試みには、それなりのエネルギーが必要だ。
誰もが知っている単語の中に組み込まれる方が、新しい単語を知ってもらうよりも格段に有効だということを、地味で心はときめかないかもしれないが、考えてみて欲しい。
知ってもらうということは、認知の段階からスタートで、これを軽く考えていると見られるケースは結構多い。
世の中には伝言ゲームというのがあって、日常にそれに似た現象もあることは既にご存知の通りだろう。うろ覚えの芸能人の名前を連呼するといった類いの笑い話もそうだ。
関心を持ってもらうだけでいつまでも足踏みしてしまって、新しい名詞はそれ自体が定着せず、結局は定番化できないというケースは世の中に蔓延している。
関心の薄い層にもそれなりに間違いの無い形で、中立よりも肯定寄りで記憶してもらうことが、キャズムとやらを越える長い道のりの中にあると考えれば励みにならないだろうか。

新しい分野を開拓する気概で新しい肩書きを考えて名乗る場合は、気概は気概で置いておいて、なるべく記号表現と記号内容が単純に一致する様に考えるべきだ。選択した語彙の意図しなかったところから、修行の深さや守備範囲まで見透かせてしまう場合がある。間違っても、語感だけで決めてはいけない。
遠回しにでも「意味の分かんない造語ですね」といった否定のされ方をした時の反応までセットで判断材料にされることを自覚していたり、肯定的に把握して有効活用している人間が少ない辺りに、そういうことを好む業界のタコツボ構造も見え隠れしている。それは、近年ソーシャルネットワークがそこはなとなく可視化してくれていて、別の岸辺から見ているだけの身としては、とてもくすぐったい。