2013年7月29日月曜日

背伸びについて考える。

十数年ぶりに劇団を結成して、会場で大道具を制作しているところに、母校の美術部の生徒達が、顧問の先生に引率されてやってきた。
公演は、地元のアートNPOが開催する展覧会に参加している関係で、他の美術作品と同じ場所に舞台を作る。美術部はなんでまた、ぞろぞろとこの場所にやってきたものか、詳しくは聞かなかったが、顧問の先生に作品についてさらっと解説してほしいと言われたので、さらっと解説して、自分で複雑な気分になった。

解説は、概ね以下の感じ。

演劇というのは、大昔は「憎い!殺してやる!」「大好き!死ぬしかない!」という、ものすごい感情で成立していました。
ところが、随分最近になってベケットっていう人が「明日、あのオッサンが来なかったら死ぬしかないね〜」って感じで「待つ」というかなりテンション低い感じでもいけるんじゃね?ってのが提案されて受け入れられて、おお、すげーってなった。
ここから更に現代に進んで、もう、誰かの固有の感情で一本のお話しになるなんてこともなくなって、登場人物の関係性の中で何か描いていくしかないんじゃないかってのが、この劇団血パンダがやっているお芝居です。
今回も、もう無くなっちゃうんじゃないかって仕事場で、皆がそれぞれいろいろ考えてるんだけど、お互い、話しが通じている様に見えて、それぞれ全く違うことを考えていたり、似た様なことを考えている人間が直接ハナシができなかったりと、そんな内容です。基本的に大事件とかありません。
「なんでハナシが通じないの?」とか、「なんで、この間と今、言ってることが違うの?」って気持ちになったことのある人には、丁度いいかもしれないけど、ひょっとしたら、目の前で人が喋ってお話しが展開しているのに、なにがなんだかわかんないってことが起こるかもしれない。

ううん。ぜひ、背伸びしに来てください。

とまぁ、なんだろ。何を喋っとるんだと、俺はと、そんな次第ですよ。
思えば、高校生の彼女たちがこれまで読んだ物語の中に、果たして「憎い!殺してやる!」とか「大好き!死ぬしかない!」ってのが軸になっていないものって、どのくらいあるんだろうか。
強烈なエゴというか、優れた感情というのから脱して展開している物語とか、ちゃんと読まれているだろうか。
背伸びしに来てくださいというのは、数十年前の自分の身に覚えから口走ったもので、背伸びしたい高校生が居る前提ではアリかもしれないけれど、ジャンルの歴史とかどうでも良くなっていたり、莫迦でもオッケーなのが善ってのが、消費側の是になっている雰囲気の今時はどうなの?と、そんな風にも考えてしまう次第。

いや、がんばります。言葉は通じないものだし、戯曲とメソッドは厳しく日本語の現代劇を模索しているけれど、役者が演じているところから更に何か拾える余白があるのが演劇の筈。

そんなわけで、誰にも期待されない場所で、ひっそりと前衛の模索、再開しました。
 劇団血パンダ・トライアル公演「発見」
もうすぐ初日です。