2013年3月28日木曜日

なんやと全く。ええ。

今日の夕方、芸術学部文芸学科という微妙な場所に居た学生の頃、ドイツ美学が専門のゼミの先生と、他者ってなに?市民ってなに?って話しになったことを思い出した。
その場ではそれらしい結論には至らなかったものの、他者を意識しないまま、市民というものを口走るのはいかがなものかということと、他者を意識しないままコミュニケーションという言葉を口走ることの不可能さについて、今更の様に再確認することになった。

人の言葉を聞いて返すという行為の中で、フロイトレベルで弱くないか?と思わせる、自分に向けられた言葉という刺激に対して、自身の心を維持する壁が持つ必須機能レベルの機械的な反応を、公の場で人の前に立ってですら露呈し、そこに思い至らない人間が居ることへの驚きが消化しきれないまま一日を過ごした。

目から鱗です。素晴らしい気覚きをありがとうございます。感謝です。
この言葉の背景に明確に自己と他者があるか。
今、自分が感じている違和感を、自分自身が受容できるが故に内発として素直に言語化できる入り口が、ここにあるかもしれないと、そんな風に感じている真夜中であります。

2013年3月25日月曜日

とりあえず、候補者に質問状を出してみた。話しを聞く会を開催するのでみんな集まれ!

『氷見市長選立候補予定者に話しを聞く会』を3月26日の20時30分から光照寺の本堂で行います。光照寺、いわゆる「たこはん」です。入場無料。お気軽に。
氷見市の市長選に関して、候補者が準備した話しばかり聞いていてもしょうがないので、いろいろと頭を捻ったり、SNSでネタ募集したりして質問状を作ってみた。
募集に反応してネタを提供してくれた皆さん、感謝します。

そもそもの打ち明け話しだけれど、光照寺の前住職が「今回の選挙は両陣営縁が深くて頭痛い」という言葉尻を捕まえて、「じゃぁ両方の候補から話し聞く会とかやったら、ふんわり中立地帯っぽくならないですかね」とか、滑り込ませていただいた次第。言葉尻捕まえて面倒なことをお願いした上に、ブログでまで書いてしまって大変申し訳ない。

こういう会自体、うさん臭く感じたり、何が背景なの?アカ?とか気になる人も居るだろうから先に断っておくけれど、私個人的には政治的にも宗教的にも氷見市民の標準に近い環境に居たものと自認している。こんな感じ。
浄土真宗大谷派で、爺さんが自民党員だったことは覚えている。既に引退したけれど、爺さんの弟に富山市南部を地盤にした北電の労働組合出身の自民党県会議員をやった人が居る。
背景的には特段突飛なところは無いし、これをきっかけに利用して洗脳したり壷買わせたりする意図も無いし、無闇に「市民」ぶったりする気も無いと、納得してもらえればなにより。
氷見市程度の小さな市の市政ぐらい、そういうのが好きな人に任せておけばなんとかなるって状況でもなさそうだし、ちょっとなんとかならないのかということで、田んぼつながりで『自然農むすびの会』を主催している泉さんと協力しつつ、先のたこはんの前住職の話しなど、様々なタイミングが合って、こんな流れになった次第。
滅多に無い機会だけれど、今後、こういうのが定着するきっかけになれば、もうちょっと雰囲気が良くならないだろうかということを願いつつ、以下は質問状。

回答をいただけたら、告示まで短い期間だけれど、それも公開します。



質問状

 氷見市において15年ぶりとなる市長選が行われます。氷見市民としては、この激動の社会情勢の中、氷見市が今後どのように舵取りをしていくのか非常に気になるところです。
 財政難・地元産業振興・少子高齢化など、氷見市でも他の多くの地方同様に問題は山積みです。
 3・11以降、国民一人一人の意識には様々な変化があります。防災の面だけを見ても、これまで氷見市で意識されていた山間部での地滑りの対策に加え、津波対策や、志賀原発から30km以内の範囲にあることが改めて意識されはじめています。
 そこで、次期市長に立候補されるお二人の、氷見市政に対するお考えを伺う機会を作れないかということで、話しを聞く会を企画し、ソーシャルネットワークなども通じて、市長立候補予定者への質問を募集。10の質問にまとめました。
 非常にお忙しい時期かとは思いますが、ご回答のほど宜しくお願い致します。

  1. 今後、氷見市における豊かさは、何が基本になるべきとお考えでしょうか。
  2. 豊かさを獲得するために、何を実行していくことになるとお考えでしょうか。
  3. 氷見市の中心市街地の活性化は、今後どうあるべきとお考えでしょうか。
  4. 今後、氷見市の財政はどのような手段で立ち直っていくべきとお考えでしょうか。
  5. 国の政策が氷見市に及ぼす影響を、どう受け止めていくべきとお考えでしょうか。
  6. 氷見市における少子化、若者の定着についてどの様な対策をお考えでしょうか。
  7. 震災以降、話題になっている再生可能エネルギーについて、今後氷見市としてどの様に取り組むべきとお考えでしょうか。
  8.  現在福島で起こっているレベルの原発事故が発生した場合の対策について、どうお考えでしょうか。
  9. 志賀原発30km圏内の市政をとるにあたって、福島の事故に対してどんな見解をお持ちでしょうか。
  10. 志賀原発の再稼働に対しては、どの様なスタンスを取るべきとお考えでしょうか。

   
                  氷見市長選立候補予定者に話しを聞く会
発起人 仲 悟志、泉 誠

氷見市長選挙が15年ぶりに行われるわけだけれど、起きている波の割に微妙な状況に見える。


氷見市で15年ぶりの市長選挙が行われる。
保守系の分裂から選挙実行の流れになったものだが、現在の市長の後援会などで組織する後継候補選考委員会というのが、新聞報道されるくらいの勢いで動いての結果だということで、これが丸く収まっていたら、無投票で新市長が決まっていた可能性もある。

3.11以降とはよく耳にするが、果たして氷見市で何が変わったのかといえば、志賀原発との距離を再認識させられたことも含めて、何も変わっていないのではないかと思わせられる。
隣の高岡市で震災の瓦礫を受け入れるという話しの果てには、高岡市とその周辺でつくる広域圏のゴミ処理施設の建設という大きな金の行く先が存在があり、それは氷見市内に建設される。氷見市民の中に、震災瓦礫の受け入れに対する当事者としての意識はどの程度のものとして捉えられているだろうか。

ただでさえ結論の出にくい原子力絡みの問題があらわにしたことがあるとすれば、氷見市においては、結局3.11以降も、それぞれの人間関係の中で、声の大きい人間の影響力に準じて、「煙たい話題なので触れない」から「納得したから何か行動しよう」までの反応の濃淡があり、何らかの使命感や当事者意識、自分の意見を持てなければ、とりあえず同調しておくけれど行動はしない。3.11以前と全く変わることのない日常が営まれていると見て良いのではないだろうか。

それでも、これまで全く目が向かなかったことに、目を向けざるを得なくなったということはある。先ほどあげた反応の濃淡の一番淡い部分から、「全くなんの関係もない関心が持てない」が無くなっただけでも、十分な意識の変化と捉えることもできる。
ただ、こんな状況ですら、無投票で市長が決まる瀬戸際だったことには変わりがない。今もなお、声のでかい奴らに任せきりにしてなんとかなるという状況なのか、なんとなく景気が悪いどころではなく、自分の懐事情のみならず、住んでいる市の財政までもが思わしくないということに、どれだけの氷見市民が具体的な危機感を抱いているのか、そもそも、その危機感、不安から何をどう捉えて行動することが正しいのか。
実際のところ、誰にどんな質問をすればいいのかすらわからない。そんな状態ではないだろうか。

立候補予定者の二つの陣営が活動を始めてから早速はじまったのは、こんな義理があるので応援しなければならない。こんな関係があるので応援しなければならない。だ。これならまだ、選挙のたびに勝ち組負け組に分断されて敵味方が明確になり、実弾が飛び交う地方の方がまだ解りやすいのではないかと思わせられる様な、5万人程度だとこの狭さかという社会の構図を露呈している。

この選挙でしっかり選択しなければ、確実に氷見市は終わるのではないかと考えている。どちらを推さなければどうなるという話しではなく、むしろ、投票する側が選ぶ習慣を獲得する必要があって、このタイミングを逃しては次が無い。
そして、氷見市の保守系の御歴々も、保守の分裂という、嘘だとしても終わればノーサイドと言いやすい状況を利用して、選ばれるという癖を付けなければ、適者生存の理にかなった人材の切磋琢磨も無いのではないかと考える。
票ばかり読んでいないで、候補者を見て品定めしてくれよというメッセージをきちんと市民に届ける緊張感を持てば、小さな市の状況なんてものは、結構簡単に変わるのではないかと、今回の選挙の流れで体感される氷見市の狭さから、強く感じている。
住民の意識が変われば、何も起こらないなんてことは無い筈だ。